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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)1978号 判決 1973年3月30日

控訴人

栗原隆

右代理人

平井篤郎

被控訴人

新日本電気株式会社

右代理人

伊集院実

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

《前略》二、控訴人は……なお抗弁として、

「被控訴会社の担当者は、請求原因五記載のとおり栗原クニ<編者注・控訴人の妻>と保証契約を締結するに際して、クニの代理人と称する控訴人が代理権を有するかどうかについて、クニに問合せをする等して確かめることをしていないが、若し上記問合せ等をしておれば、被控訴会社は当然控訴人が前記保証契約の締結についてクニを代理する権限を有しないことを知り得たはずであるから、被控訴会社は、その過失により、控訴人に代理権がないことを知らなかつたものである。従つて、控訴人は民法第一一七条第一項所定の無権代理人の責任を負わない。」と述べた。

三、被控訴人は控訴人の抗弁に対し、次のとおり述べた。

1  被控訴人に過失があるという控訴人の主張は、これを争う。すなわち、請求原因五記載のとおり控訴人はクニの夫であり、本件保証契約締結の際クニの実印とクニ所有の建物の権利証とを所持していたのであるから、被控訴会社の担当者が控訴人に上記契約を締結するについてクニを代理する権限があると信ずるのは、当然であつて、控訴人主張のような過失はない。

2  仮りに、被控訴人に何らかの過失があるとしても、控訴人は、前記のとおり被控訴人に対しクニを代理して保証契約を締結する権限があるものと誤信させ、この誤信に基づいて被控訴人をして叙上のとおり訴外会社に対し一六〇万円を出捐させたものである。そうして控訴人は、被控訴人からクニに対する保証債務の履行を求める訴訟においては、クニの実印等を盗用した旨証言して、クニに対する追及を免がれさせておきながら、一方本訴においてもまた被控訴会社の過失を云為して、自己の責任をも免れようとしているのであつて、民法第一一七条第二項を根拠とする控訴人の抗弁は、信義則違反ないし権利の濫用として許されないところである。《後略》

理由

一、被控訴人主張の請求原因一、二、四、五及び七記載の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すると、家庭電気製品の製造販売を業とする被控訴会社が、家庭電気製品の組立製作を業とする訴外会社に対し、昭和四二年九月一二日、被控訴人主張のような約定の下に前渡金として一六〇万円を支払つたこと、その際控訴人は栗原クニの代理人として、訴外会社の被控訴会社に対する前渡金返還債務を一六〇万円を限度として保証する旨の契約をしたこと、上記保証契約の締結について、控訴人はクニから代理権を授与されていたことを証明することができず、かつ、クニの追認も得られなかつたこと及び被控訴人が昭和四二年一〇月五日調査したところ、訴外会社に対し合計一六五万三、五六三円の前渡金が過払いであることが判明し、従つて前記一六〇万円は約旨に従い訴外会社においてその全額を直ちに返還すべきものであることが認められ、<証拠>のうち右認定に反する部分は措信せず、他にこれに反する証拠はない。

右認定の事実によれば、クニの代理人として被控訴人と保証契約を締結した控訴人は、民法第一一七条第一項により、被控訴人の選択したところに従つて、被控訴人に対し右保証契約上の義務の履行として一六〇万円を支払うべき義務があることが明らかである。

二、ところで、控訴人は、被控訴人はその過失により控訴人に前記保証契約締結の代理権がないことを知らなかつた、と抗弁する。

請求原因二、記載の事実及び控訴人がクニの夫であつて保証契約締結の際クニの実印を所持し、またクニ所有の建物の権利証を持参しこれを被控訴人に交付したことは前記のとおり当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を合せ考えると、被控訴会社の東京製造所は昭和三八年頃から訴外会社に家庭用電気製品の資材を売り渡し、訴外会社はこれに加工して製造した電気製品を被控訴会社に売り渡すという方法で取引を継続し、被控訴会社の東京製造所は後日における製品の納入を予定して買受代金を前渡金として訴外会社に支払い、毎月一定の精算日に前渡金が過払になつていたときは過払額全部の返還を受けることになつていたこと、控訴人はかねてから訴外会社代表者千村大と昵懇の間柄であつたが、昭和四二年九月頃千村と同道して東京製造所に至り同所の経理課長等に対し、訴外会社の被控訴会社に対する前記製品代金は四、五百万円に達するはずであるが、訴外会社は早急に資金の必要があるのでそのうち一六〇万円を前渡金として支払つて欲しいと申し入れたこと、同所の担当者は当時訴外会社との取引について精算がなされていなかつたので、一旦この申入れを断つたのであるが、交渉のすえ結局前記認定の約定のもとにこれを支給することになつたこと、控訴人は自宅の二階の金庫の中からクニの実印と同人所有の建物の権利証を持ち出し、同月一二日これを持つて千村とともに前記製造所に赴き、同所において、担当者に対し約旨に従い担保として提供すべき建物がクニの所有名義となつているので形の上では自分がクニの代理人としてする旨を述べて、上来認定のとおりクニの代理人として訴外会社の前渡金返還債務につき一六〇万円を限度とする保証契約をし、かつ担保の趣旨で上記権利証を交付したこと、その際同製造所管理部長代理辻良男、経理課長大隅信哉と訴外会社及びクニとの間において叙上の趣旨を明確にした覚書(甲第一三号証)が作成されたが、控訴人は右書面に保証人としてクニの氏名を記載し、その名下に前記実印を押捺したこと、及び即日一六〇万円が現金で被控訴会社から千村に支払われたことが認められ、これに反する証拠はない。

思うに、民法第一一七条の法意にかんがみれば、同条第二項にいう「過失により代理権がないことを知らなかつたとき」とは、「代理権がないことを知つていたとき」に準ずるような重大な過失がある場合、すなわち、普通人の注意力を以てすれば容易に代理権がないことを知り得べき状況にあつたにかかわらず、その程度の注意すら払わなかつたために代理権の欠缺を知ることができなかつたような場合を指すものと解するのが相当である。ところが、前認定の事実関係によれば、妻クニの夫である控訴人が、クニの実印と、担保に供すべきクニ所有の建物の権利証とを持参し、クニの代理人として被控訴会社との保証契約締結の掌に当たつたというのであるから、その相手方となつた被控訴会社の前記担当者等が、控訴人に、右契約の締結につきクニを代理する権限があると信じたことは、一応無理もないと認められる事情にあり、右担当者等が通常人の注意力を以てすれば控訴人に代理権がないことを容易に知り得べき状況にあつたとは到底認められない。もつとも、前記覚書には代理関係の表示がないなど、形式に不備があり、前掲中西証人も、「自分は被控訴会社の総務部で法律契約関係等を担当しており、自分が掌に当たれば、このようなまずいことはしなかつたであろう」との趣旨の証言をしている。たしかに、右認定のような事態の下においても、法律の専門家とか、若しくは契約関係の熟練者が掌に当たり、いつそう高度の注意を払つたとすれば、直接クニに代理権授与の有無を確かめるとか、若しくはクニの署名押印(実印による)のある代理委任状を徴する等の方法により、事故を防止することも決して不可能ではなかつたと考えられる。しかし、被控訴会社の担当者等がかような高度の注意を払わなかつたために控訴人に代理権がないことに気付かなかつたということが同条二項にいう過失に当たるものと解すること(ひいて控訴人が同条第一項の責任を免れるものと解すること)は、同条の趣旨に添うものとは解されない。従つて、前認定のような事情の下で、被控訴会社の担当者等が更に進んでクニに問い合わせる等の措置をとらなかつたからといつて、被控訴会社に過失があつたとすることは相当でない。また、前記覚書に形式上の不備があることや中西証言は以上の判断を左右するものではない。

このように、被控訴人が控訴人に代理権がないことを知らなかつたことが、被控訴人の過失によるものとは認められないから、控訴人の抗弁は理由がない。《後略》

(白石健三 川上泉 間中彦次)

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